©︎ Microwave Chemical Co.,Ltd.
これは世界を変えた、
とある企業の創業ストーリー。
大阪から世界の常識を
変えていく。
当社は、大阪府吹田市にある本社・ラボと
大阪市住之江区の実証設備を拠点に、
マイクロ波プロセスの技術プラットフォームを提供している
大阪大学発のスタートアップです。
2014年には世界初となる大規模なマイクロ波化学工場を立ち上げ、
この工場からの製品出荷を実現しました。
現在は、化学だけでなく、医薬、電子材料、食品など
国内外のさまざまな分野のメーカーや機関と提携し、
事業を加速しています。
創業当時、「マイクロ波の産業利用は困難である」という
見解が化学業界の常識でしたが、
当社はそのマイクロ波プロセスの事業化に取り組んでいます。
共同創業者、
塚原との出会い。
吉野巌は大学卒業後、三井物産に就職し、化学品を担当していました。
仕事は充実していたと思います。
ただ、新しいことにチャレンジしたいという気持ちが強くなり、
向こう見ずだったかもしれませんが、会社を退職し渡米。
MBAの勉強をする中で、
ベンチャー企業が新しい技術やサービスを事業化し
世の中にインパクトを与える様子を見て、
自分も同様に起業したいという意思を固めていきました。
そして帰国後の2006年、友人から、
大阪大学大学院の工学研究科でマイクロ波化学の研究をしていた
共同創業者の塚原を紹介されます。
彼はそれまで出会ったどの研究者とも違いました。
誰よりも一生懸命だった。
もっと言うと「大学のシーズで世界を変えたい」と
本気で思っていました。
その後の一年間、密に連絡を取り合うようになりました。
当時の電話代を思い出すと今でもぞっとします。
それでも「世界中の化学産業を変革しよう」という
二人の気持ちは揺るぎないものになり、
翌年の2007年には会社の設立に至ります。
マンションの
一室からのスタート。
自宅であるマンションの一室からスタートしました。
創業メンバーの私と塚原が自己資金を600万円拠出して、起業資金としました。
しかし、それでは到底足りないため、
さらに公的な助成制度から支援を受けることで
資金を調達しました。
ただ、その助成金をいただいた時も、
「どこで研究開発をしているのか」
「マンションの一室で出来るわけ無いだろう」
「新しく研究室を開設しなければ、助成金を停止する」
と言われる始末。
会社設立からわずか1ヶ月で消滅の危機を迎えたのです。
その後、大阪大学内に実験室を借りることができ
何とか初めの壁を乗り越えることができました。
と思いきや、1年後に発生したリーマンショック。
全くお金が集まらない状態がしばらく続きました。
そんな中、ベンチャーキャピタルや金融機関などに助けていただきながら、
ギリギリでしのいでいました。
大型化の壁
マイクロ波プロセスをモノづくりの現場で実用化し、
事業化していくためには、
装置の大型化が必要条件です。
その大型化を目指して、
冒頭紹介した政府機関からの助成金で装置を製作していたのですが、
いきなり大問題が発生しました。
装置にマイクロ波が通らないのです。
国から助成金を受けながら失敗する訳にはいかない。
途方に暮れていた時に塚原から、
「マイクロ波が通ったぞ!」
と連絡がありました。
このときの全身で安堵した感覚は今でもよく覚えています。
その後もトライアル&エラーを繰り返し、
少しずつ装置の大型化を実現していきました。
ビジネスモデルの壁
現在のビジネスモデルは
「マイクロ波プロセスの技術プラットフォームを用いた
ソリューションの提供」ですが、
元からこの形態だったわけではありません。
初めは化学メーカーや食品メーカーなどの
工場からで出てくる廃油を原料とし、
当時注目されていたバイオディーゼルを先方の工場内で
製造・販売しようと考えていました。
しかしながら、我々の目論見は見事にはずれました。
「マイクロ波って何?体に悪いんじゃないか?」
「よくわからないものをうちの工場に入れたくない」
なかなかマイクロ波という新しい技術を受け入れてもらえませんでした。
それなら自社でバイオディーゼルの製造をしようと方針転換したものの、
市場が一向に立ち上がらない。
そこで、「モノ」を販売するのではなく、
「マイクロ波を使ってどのようにモノを作るか」という方法を、
化学メーカーに販売するという
ビジネスモデルにたどり着きました。
「一号ライン」の壁。
前例がないなら、前例をつくる。
このビジネスモデルで化学メーカーに営業をかけていくわけですが、
ここでもまた問題が発生します。
先方に「マイクロ波を使えば消費エネルギーは1/3、
工場面積も1/5に削減できる」と伝えると、
最初は興味を持ってくれ、開発がスタートします。
しかし「ところで、その技術を使ったプラントはどこにあるのか?」と聞かれ、
「御社が第一号になります」と答えると、だいたいそこでストップ。
要するに「前例がないものは採用できない」というわけです。
世の中にない技術の事業化に挑んでいるので
前例がないことは当たり前なのですが、
安全・安心が重要な化学業界では
過去に実績がないことが大きな障壁だったのです。
私たちはこれを「一号ラインの壁」と呼んでいます。
この壁を打ち破り、
「マイクロ波は本当に使える技術だ」と証明するためには、
我々自身で工場を立ち上げるしかないと考えました。
これは「スタートアップは得意分野(当社の場合は研究開発)にフォーカスすべきである」といった一般論に反することです。
会社としての方向性を大きく転換する大決断でした。
そして、2014年、世界初の大規模マイクロ波化学工場が
当社大阪事業所内に完成しました。
事業化へ。
小さな会社が世界企業と
勝負する。
そのマイクロ波化学工場から、
インキ原料となる製品(脂肪酸エステル)の製造・出荷を
国内大手インキメーカーの東洋インキ向けに開始(*)。
私たちがマイクロ波でつくった製品を使って新聞が印刷されました。
*ビジネスモデルの変化に伴い、現在は製造を行っておりません。
次第に「本当にマイクロ波を使ってモノづくりをしている」
ということが化学業界に広まり始め、
2014年には、世界最大手のドイツの化学メーカーであるBASF社と
プラスチックなどの原料となるポリマーの共同開発契約を締結しました。
BASFとの関係が始まったのは2011年。
当初はBASFも他の多くの化学企業と同様、
マイクロ波を使った製造プロセスは大型化することが難しいという
「化学業界の常識」に囚われていました。
しかし、「ここまで技術開発が進んでいるのか」と驚愕したことで、
共同開発へと一気に進みました。
2017年には、食品素材メーカーの太陽化学と共同で立ち上げた
食品添加物量産工場が竣工し、その後、製品出荷を開始しました。
そして、2019年には医薬品原料製造工場へ
GMP対応のマイクロ波反応装置を納品し、
医薬品原料の製造が開始されます。
世界中の化学産業を、
変革する。
現在はさまざまなプロジェクトが水面下で動いており、
今後一気に実現していくフェーズに入りました。
創業当時の「マイクロ波技術で世界のモノづくりを変えたい」
という志が今もなお、私たちの原動力です。
世界の化学・エネルギー産業の市場規模は500兆円あるとされています。
この1%でもマイクロ波プロセスに置き換えることができれば、
5兆円規模の産業です。
ここまで持っていくことが当面の目標です。
私たちは世界中の化学産業を変革するために、
これからも挑戦を続けていきます。